実践コラムvol.1

 

 

「のんびり」から始める 

 

 7月初旬、出版HP部会部長の伊藤さんからの、「実践のブログでコラムやろうってことになったから、第1回お願いしてもいいかな。」という依頼を反射的に引き受けて、はや3週間が経った。その間、頭の中で色々とネタをこねくり回したのだが、どれも形になることはなかった。いい加減、放置しておくのも良くないので、初心に帰り、今回が第1回ということもあるので、「実践真宗学研究科」、その雰囲気について書こうと思う。

 

 「のんびり」、実践真宗学研究科の雰囲気を表すのに、これほど相応しい言葉はないだろう。合同研究室を訪ねれば、皆各々にリラックスして過ごし、あちこちで談笑している声が耳に入ってくる。それは、自らの研究に黙々とまい進するという、大学院のイメージとはおおよそかけ離れたものだ。3年間という、通常より1年長い課程の期間が、この緩やかな雰囲気を生み出しているのかもしれない。

 

 ふと外を見ると、実践真宗学研究科の雰囲気とは対照的に、社会の流れは驚異的なスピードで進んでいくのに気づく。政治、経済、スポーツ、芸能、どれも目まぐるしいサイクルで変化し続けている。当然、その社会で生きる人々も、そのスピード感で日々を送っている。その状況の中で、「実践」を標榜する私たちは、こんなにのんびりしてて良いのか、社会のスピード感に適応しなければいけないのではないか、と自分勝手に思い悩むこともある。

 

 ところが、思い返してみると、実はこの「のんびり」こそが、私も含めた現代に生きる人々が忘れかけた、大切なものではないだろうか。目まぐるしいスピードで先へ先へ…、社会で生きていくには確かに必要なことだ。しかし、先の未来へと目を向け急ぐ中で、現代に生きる人々は、「なぜ、今、ここに、私がいるのか」を見失いかけているのではないか。

 

私たちが実践する真宗の「目線」は、つねに「今、ここにいる、私」に向けられている。先へと直線的に突き進む中で、「今」を埋没させるのではない。どこか別のところに、「本当の私」なるものをでっちあげるのでもない。「今、ここにしかいない、私」へと向けられた目線から、「今、ここにいる、私」を最高に輝かせる。これこそが、真宗の本質なのだ。その真宗を実践するということを考えたとき、あえて「のんびり」から始めるのも悪くない気がする。「今」はこう自身を納得させている、と述べたところで、この取りとめもない駄文を終わることにする。

(文:入江楽)

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中